武田信玄の先祖が住んでいた!『武田氏館』

ひたちなか市武田は、戦国武将“武田信玄”の先祖が住んでいたといわれており、
昔の絵巻物などを参考に、鎌倉時代の武士の館を再現した“武田氏館”という建物があります。
そんな歴史ある甲斐武田氏(かいたけだし)発祥の地にイチオシ編集部が行ってきました!

緑の看板を辿る

入り組んだ住宅地の奥にあるので、この緑の看板を辿ってクネクネと進みます。
 

≪看板を良く見ると、武田信玄の家紋『武田菱』(たけだびし)や、馬など、武田氏館に関連のある
面白いデザインになっています!≫

到着!

門をくぐると正面に主屋、左側に厩(うまや)、右側に納屋があります。

主屋

  

納屋(受付)

受付の男性から、「武田信玄とゆかりのある山梨県からの来館者様が多く、地域の小学校の社会科見学や、自治会の集会での来館もある」とお話しをお聞きしました。また、武田信玄の先祖、義清と清光はこの武田の地に約30年程住んでいたのではないかとの事です。

   

 

主屋へお邪魔しまーす!

 

主屋の中には武田信玄の先祖義清と、義清の子清光の人形や、武器、資料、石器、などが展示してあり、自由に見学出来ます。  

 

 

 

 

  

義清と清光は、武田周辺に古くからいる豪族との間で勢力を張り合っていましたが、 
ゆき過ぎた行為を朝廷(政治)に訴えられ、その結果、
甲斐国(現在の山梨県)に島流しとなってしまいました。
甲斐国で暮らし始めた義清と清光は、新天地に甲斐源氏発展の基盤を築き、
その17代目後に信玄が生まれました。

武田信玄 【1521ー1573年】

1521年に甲斐国で生まれた戦国武将。
「甲斐の虎」と呼ばれ、最強ともいわれた騎馬隊を率いた武田信玄は、織田信長も恐れるほどの武力を誇った。天下統一を目指していた武田信玄が、上洛(京都入り)を前に病に倒れることがなければ、日本の歴史は変わっていたかも知れないと評価されている。

 


武田氏館(たけだしやかた)
住所 茨城県ひたちなか市武田566-2
電話 029-276-2525
開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで) 
休館日 月曜日(祝休日のときはその翌日)と年末年始(12月28日~1月4日)
入館料 無料

 


 

…武田信玄と聞くと、真っ先に山梨県の代表銘菓“信玄餅”を思い浮かべるイチオシ編集部矢川ですが笑 
信玄餅には諸説あり、
①武田信玄が出陣の際、非常食としていた砂糖入りの餅にちなんで作られたという逸話
②山梨県でお盆に食べるのが風習となっている安倍川餅から由来した
という2つの説の他、武田信玄と信玄餅は特に関係がないという話も。

それにしても、あの柔らかいお餅ときなこと黒蜜…食べたいなぁ。

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