川嶋会長の思い出話 その2

創業以来、勝田泉町で22年間、LPガス販売店として業務を続けながら、昭和55年(1980年)9月、生まれ故郷の“津田”に新社屋を構えることができました。当時、社員は女性2名(内一名は今でも部長として本社で頑張っております!)男性6名で、店舗、兼、住いの泉町店が手狭になり、当時としてはかなり思い切って写真にあるような建物を建築しました。

昭和55年当時の社屋(現本社)

昭和55年当時の社屋(現本社)

移転後にはその事務所で、ご近所の方々を招いての宴会や、その後は社員みんなで屋上でのバーベキュー、お客様と一緒にカラオケ道場などを行ったものでした。また、その頃は屋上から水戸の花火が良く見えたものです。

当時のLPガス販売店では当社も含め、何となく今よりはガス機器が売れていたような気がします。ガステーブルや小型湯沸器、ガス炊飯器などは倉庫にたっぷりの在庫を持ち、お客様のご注文には即対応し、お客様のところへお届け取り付けしておりました。一方で当時のガス機器は今のとは違い構造も簡単、その分故障も少なく丈夫だったように思います。また、修理も何とか自分たちでできることが多かったものです。以前、6号国道沿いにあった「パイナップルドライブイン」(今の“まるくに寿司”さん)の業務用の湯沸器(いわゆる「イカ型」)なども、何度か修理でお伺いし、その場で種火の掃除などをしていたことを思い出します。

一方その頃には「ガソリンスタンド」を経営しないか、と実に多くの方々からお誘い、助言を頂いたこともありました。その後間もなく、当時としては業界最先端のコンピューターシステムを逸早く導入し、最近ではリフォーム事業へも本格的に取組むなど、割と新しい流れには積極的な方だと自分自身思っております。しかし、その当時「ガソリンスタンド」経営に対しては何故か「自分の性分に合わない」ということで、今日までLPガス一筋(地元も一筋)で専門店として夢中で頑張ってきて、今気が付けば「もう半世紀近く経ったのか」と言うのが実感です。

昭和63年入社の頃の黒沢社員

昭和63年入社の頃の黒沢社員
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平成元年、当社社員旅行にて

平成元年、当社社員旅行にて
「さて、私は誰でしょう?」
⇒今も現役当社社員のひとりです!
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創業して30年を過ぎ、時代も「昭和」から「平成」へと変わり、当社々員も10名を超えるようになりました。当時ガス業界においては、それまでのガスメーターから「マイコン型ガスメーター」へと取り付けが始まった頃でした。それまでLPガスに関連した事故が全国で年間500件以上起きていたのに、その後マイコンメーターが普及してからは激減したものです。もちろんガスメーターの安全性が高まっただけではなく、ガス機器の性能も向上し、さらにガス設備もより安全性の確かなものになって、事故が極端に減ったのだと思います。それまではお客様の配管設備の費用は頂いていたものですが、以降他県業者の影響で、いわゆる無償配管が一般的になったのもその頃だったと思います。それまでのガスメーターに対し、当時5倍以上の高価なマイコンメーターの設置と、この無償配管により、基本料金も値上げせざるを得ない状況になったと記憶しております。

ほっとらいん創刊号

ほっとらいん創刊号
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第2号〔平成5年1月発行)

第2号〔平成5年1月発行)
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その後、創業35年目を迎えるに当たり、少しでもお客様とのコミュニケーションを深めようと、平成4年9月、「ほっとらいん」創刊号を発行しました。当社キャラクターの「プロンちゃん」もお客様に名前を第2号で募集し、3号で正式に発表しました。編集製作はもちろん社員の「手作り」、発行も最初の頃は3~4ヶ月に1回の間隔です。今のように毎月発行できるようになったのは平成7年1月号から、それが第10号で、今回この9月号が150号。現在も社員による手作りミニコミ誌として続いており、これは多分LPガス業界として全国的にも貴重なことと自負しております。

そして平成8年、記念すべき「第一回プロンちゃん ふれあい感謝祭」を開催。これも偏にお客様との毎日のお取引への感謝の場としてスタートしました。それから連続10年、今年もその頃と全く同じ思いで来月28~29日に第11回目を開催する予定です。

今、当社々員が一生懸命、今年の「感謝祭」の企画を練っている最中です。つきましては、今後とも当社との末永いお取引をお願いするとともに、今年の「感謝祭」にも皆様多数のご来場していただけますよう、重ねてお願い申し上げる次第です。

平成6年1月、仕事初めの頃

平成6年1月、仕事初めの頃
⇒津田の本社から、勝田泉町店へ何かの都合で社有車が勢ぞろい